オ トモ シヒ ビ ャク ンオー ス ラ

日時
2005/8/12(金)
開演
午後7時30分
会場
元麻布「P-HOUSE」
入場料
1,200円(1ドリンク付き)

出演

ailack / tetuji akiyama jason kahn utah kawasaki (Creative Sources Recordings)


http://www.creativesourcesrec.com/catalog/catalog_027.html

Recorded live at
Kid Ailack Art Hall, Tokyo, February 22, 2004
Mastered by
Jason Kahn
Artwork by
Jason Kahn

奏者

Tetuzi Akiyama
tape-delayed electric guitar
Jason Kahn
analog synthesizer, percussion
Utah Kawasaki
dismantled Roland synthesizer, cell phone

曲目

  1. #1

Songs I played / utah kawasaki (umu)


PROCESSED AND RECORDED BY
utah kawasaki IN MAY 2004
REALIZED BY
umu
MASTER RECORDER
AKAI GX-9
MASTERED BY
COMYAS
COVER ARTWORK AND CONCEPT BY
utah kawasaki

曲目

  1. Next
  2. Song
  3. First
  4. Sound
  5. Recording
  6. Circuration
  7. Seven
  8. Eight
  9. sing
  10. Last

レビュー

オーディオ・ファイル素材をDSPにより製作。ジャズっぽい元ネタの音楽がぐしゃぐしゃになって聞こえてきて、何となく不知火レコード的サウンド。これまでのユタカワサキサウンドとはひと味もふた味も違う。全10曲入りminiCD。

ユタ川崎の待望の新作がミニCD専門レーベルUMUよりリリース。本作ではいつものアナログシンセを使用せず、ある素材/楽曲にデジタルプロセシングをかけたショートピース10編を収録。コンピュータを使用しているにもかかわらず、カワサキ節としか言えないザラザラ・ゴツゴツとした異物感と得も言われぬ透明感が出ているのは流石。

ポストデスジャズエレクトロニカ世代の loop re-finding jazz。 「1 Next 2 Song 3 First 4 Sound 5 Recording 6 Circulation 7 Seven 8 Eight 9 Sing 10 Last 」というまったくなげやりで人をなめきった曲名。 しかし、これは jazz satellietes 精査がまったく滞っている現在、  極めて重要な loop re-finding jazz 盤。

一聴しただけでは、クリックハウスとフリージャズのレコードが数万枚同時に火事で燃えてその時の現場を後で、時間サーチしているかのような、サイケデリックなハウスのようでもあり、ポストエレクトロニカ世代の「デスジャズ」シーンの確かな予兆ともいえる作品。 しかしそこにはユタカワサキの出自とかれが本当に人間であるかをどうやって証明するか、そしてloop re-finding jazzという発見に関わる重大な秘密が隠されているのです。

 歴史上においては、かつて実験ジャズの拠点として世界中を震撼させた ESPレーベルからのアラン・ソンドハイムのソロアルバム、そして 1枚目にBIG POO GENERATER (巨大ウンコ製造機)というアルバムを出した spoo disc の最後の作品 アタランス・タング のソロアルバムという、 2枚の超重要な loop re-finding jazz 盤が存在します。

 デスジャズにも、isolationist 音響にもほとんど免疫のない世代の音楽リスナーは、一歩間違えば、息子の負けん気と父の職人気質が生んだ偶然の産物。作る方も江戸っ子なら、食べる方も江戸っ子。これしきの辛さじゃ驚かねぇと、さらなる刺激をリクエスト。ならばと、より辛い一味唐辛子を探し出し、息子の負けん気と父の職人気質が(以下無限ループ) そうでなくても、あなたはぼくが父のクローンによる複製だと言おうとしていて、二人ともそのことでぼくがショックを受けると考えているようですね。いいえ。うすうすそれは察していました。なにっ? それを聞いてほっとしたよ。率直に言うが、おまえの年でそれを知った時、わたしは大いに悩んだ。わたしは父の書斎にーこの部屋にー父と対決しにやってきた。そして父を殺すつもりだった。でもお父さん、あなたはぼくが父のクローンによる複製だと言おうとしていて、二人ともそのことでぼくがショックを(以下無限ループ)という無限ループに陥りがちで、一日にモニターを16時間以上見続けているわけだから、さらに眼球運動の 鈍磨と並行して無限ループは縮小していき、そして..。

 ESPのアラン・ソンドハイム、spoo disc のアタランス・タング、その動きに呼応するかのように世界各地で、ニュージーランドコーパスヘルメティカム)、日本(コンピュータスープ、Dr.ソンドハイム・チルドレンであるcharred bells)... re-finding jazz looper が loop re-finding jazz を。「songs/played」はアナログシンセによる音響ポエジーを、日々誰にいわれなくとも雨の日も風の日も、そして嵐の日はその嵐の音響と自分の出す電子音とのセッションをしながら、高校生の時から現在にいたるまで十数年にわたり、紡いでいきた電子音作家によるはじめての、非電子音楽作品であり、一部ではすでにログアウト冒険文庫伝説のコンパイル「架空幻想都市」シリーズの音楽盤との評価も獲得。超上空から音楽史の街並を、アルスエレクトロニカゴールデンニカ賞受賞会場で「アジアの電池小僧」と快哉を叫ばれたその手さばきで、怪獣墓場のように日の目をみることのないその音楽の歴史の街並を、自動で数百年も発火/着火/消火して撹乱する装置として機能してきたかのようなたたずまいを装する音楽。

完全に死んだとおもっていた、たまごっちの復活。完全に死んだとおもっていた音楽の復活。そしてユタカワサキのどうしても人間とは思えないたたずまい。 われわれはこれを聴くことで何を目撃するんでしょうか。

壊れかけのアナログ・シンセ奏者で偶発的出来事を、クールな視線で切り取り聴衆者に作品として放り投げる電子音楽家であり即興界の王子的存在ユタ川崎。初のコンピューター作品が360°レコーズのミニCDレーベルからリリースされました。今作はMAX/MPSの自作パッチによるサウンド・ファイル再構築作品で初の非電子音楽作品。断片化された音のパーツが、大胆に組み合わさり淡々と繰り返されるショート・ピースが10曲。驚いたのは、聞いた感触がシンセサイザー演奏のソレと一緒だということ。荒れた音質もゾクゾクするカッコ良さ。いやはや!! これは傑作ではないでしょうか?

最近commune-discがappelにたくさん入ってくるのはスズキさんの活発な活動の成果 だが、それにしてもどれもこれもおもしろくて驚く。

が!このユタ川崎さんのミニCD作品は、これまで無感情ノイズの持つ感情に驚いてき た(などと言ってるがたいして聞いてないだめリスナーですが)ユタファンならずと も瞠目の誤解を恐れずに言えばノイズPOPの傑作です。泣かす音なんてないはずなの にそんな試みをしようとする愚かしさよりは、遥かに感情を度外視した感情を喚起す るこの試みの不屈の挑戦こそ必聴だと思います!

パリからペキンを経て埃舞うアジアンSFへ徒歩で突入し、パッチ・シンセは合成を越えアンタッチャブル・テーマを鼻で笑い、文字列の羅列で保身するバブーな論客は基本童貞だったと気付いた瞬間それって...6畳間の絶望に近いのでは...蛍光灯を白熱灯に替えてみても無駄だよ...と歩み寄るも秋に鳴る風鈴にはかなわず翌日の欠勤を決め込み、CSSが導くクラック・アートに夢中になるも英語はうろ覚え。

今回この日本の若者はJAZZを誤解していて、つまりそれは元々JAZZでは無かったという事。黒目がちな目をこらし酒を飲みオーディオを操るユタ川崎をブライアン・ウィルソンは知らない。

これは不良の音楽。俺は悔しい。

このCDには、ユタ川崎が演奏した「歌」が収められている。それは、デジタル処理による音響的変奏曲、とでもいえばいいか。この10年ほどを通過したユタ川崎のもうひとつの試み。

デジタル人ネイティブ音楽?
うまく言えないけど、この乾いた機械音に 種とか、土を感じます。
ほんでね。
耳というより、頭に侵入してくるんです。
でも土足じゃないよ。ちゃんと靴脱いで。
心地よい闖入者やね。

孤高のディスコミュニケーション・ミュージックの決定盤!